高麗人参日本昔話ー徳川綱吉

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江戸時代、高麗人参の高い効能が一般にも知れ渡る事となり、高麗人参ブームが巻き起こります。
しかしながら、高麗人参は全て輸入に頼っている状況。
以前よりは流通しているとはいえ、まだまだ簡単に手に入るものではありませんでした。

そんな中、徳川五代将軍「徳川綱吉」の時代に事件が起こります。
極度の財政難に陥り、お金の品質を落としてごまかそうとしたのです。
そこで文句を行ってきたのは、高麗人参を扱う朝鮮半島側の業者。
価値の低い大判小判では、以前のような取引は出来ないと突っぱねてきます。
当然ですね。
その時幕府はどのように対処するのか・・・。
今回は、そんな高麗人参にまつわる歴史を、皆さんにご紹介させていただきます。

高麗人参が欲しいのに手に入らない!

徳川五代将軍「徳川綱吉」の時代、幕府は危機的な財政難に見舞われます。
その原因は、将軍綱吉の浪費が激しくなった事と、明暦(1655年から1657年まで)に発生した火災、天災の対応で必要となった臨時支出だといわれています。

お金の流通を増やしたいのに、お金を作る金や銀の採掘が追いつきません。
そこで、今まで作った金銀小判の質を低くして、お金を作ろうと画策します。
つまり、今まで金100gで作っていた大判小判を、金50gで作ろうという話です。
日本国内だけならまだしも、この措置は、海外相手の貿易では大問題になりました。
当然ながら朝鮮半島の業者は、小判の品質によって渡す商品の量を調整しはじめます。
それどころか、あまりにも大判小判の質が悪いので、取引を停止する措置を取られてしまいました。

危機的な財政難と聞くと、なにか経済学的な話題のようになりますが、ここで出てくるのが高麗人参です。
この当時、まだ高麗人参の栽培が確立されていないため、高麗人参を手に入れるためには輸入する他ありません。
どうしても高麗人参を輸入したい幕府は、高麗人参貿易のためだけに「人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)」というお金を作りました。
このお金は、程度の低い粗悪なお金とは違い、以前の質の高い大判小判と同等の品質を保ったお金です。
人参代往古銀により、幕府は再び高麗人参を手に入れることが出来るようになりました。

財政難の時代に、無理をしてでも手に入れたい高麗人参。
当時の高麗人参人気は相当なものであったと予想できます。
この「人参代往古銀」は、八代将軍吉宗が高麗人参の栽培を実現するまで発行され続けました。
高麗人参の栽培が、日本全国で推奨され始めると、その役目を終えるかの様に、「人参代往古銀」の鋳造は衰退の一途を辿ったのです。

高麗人参の貿易専用に作らていた「人参代往古銀」。
日本国内で、高麗人参の需要が、どれほど高かったのかを垣間見ることが出来るエピソードですね。
(参考)
高麗人参の効能 lhttp://www.nrvredcross.org/kus.html
徳川家康も愛用していた高麗人参 http://www.vulnerableplaque.org/ieyasu.html