高麗人参日本昔話ー豊臣秀吉
奈良時代に日本に伝わり、徳川吉宗によって確立された高麗人参栽培。
その歴史の中で、高麗人参をテーマにした面白い話が沢山あります。
今回は、高麗人参に関する日本の面白い歴史を、皆さんにご紹介させて頂きます。
ここに書かれている内容は、史実を元にしたロマン(憶測)として楽しんで頂ければ幸いです。
良質な高麗人参を手に入れていた豊臣秀吉
朝鮮出兵を実施した豊臣秀吉。秀吉も高麗人参の効能は知っており、自身も高麗人参を煎じて飲んでいたと現存している歴史書に記載があります。
1592年の朝鮮出兵の折、加藤清正と一緒に行動を共にした小西行長という大名がいました。
この小西という大名、実は「薬種問屋」を営む堺商人家系の出であり、キリシタンになることで独自の貿易ルートを確立した切れ者です。
清正と小西は犬猿の中として有名ではありますが、小西は武芸が苦手だったため、その犬猿の剣豪清正と共に最前線で戦う事になります。
清正が奮戦している最中、小西は秀吉に内緒で中国(明)の将軍と交渉し、中国軍と日本軍の両方に嘘をついて和平交渉を進めてしまいます。
秀吉の命令は「中国(明)を屈服させること」でしたから、後に事実を知った秀吉が激高したのはいうまでもありません。
激高した秀吉は、切腹を命じますが、この時、中西は前田利家、淀殿らの助言によって、一命を救われるたと史実にはあります。
このように助けてもらった小西ですが、なんと1597年の第二回の朝鮮出兵にも参加しています。
史実では、嘘の講和交渉を行った不忠義を解消するため、武功を立てて罪を償うよう厳命されての出兵です。
しかし明らかに武功を上げることは出来ない程に弱い小西を、なぜ二回目も出兵させたのでしょうか?
実は、最初の出兵の和平交渉の時、小西は大量の高麗人参を秀吉に持ち帰ったからなのではないかといわれているのです。
攻め込んだ側の人間であるにも関わらず、和平交渉の嘘を理由に中国(明)から得たのか、それとも進軍の際に山を掘り返したのか・・・。
山を掘り返すとしても、そんなに簡単に見つかるものではありませんので、入手しているとしたら、交渉による獲得であると考えられます。
当時の日本では、高麗人参は「大判」と同等の価値かそれ以上とみなされている、とても貴重な薬草でした。
優秀な商人である小西が、持ち帰ったかもしれない高麗人参。
持ち帰っていたとしたら、もう一度入手して帰国するよう、二回目の出兵目的にも含まれていたのではないでしょうか。
江戸時代、大判と同等以上の価値があったと言われる高麗人参。
貴重な高麗人参を入手するために、優秀な交渉工作員として切腹を免れた堺の商人大名が指名を受けた・・・。
想像の域を超えませんが、歴史ロマンの中に高麗人参が絡んでくるあたりに、その価値の高さが伺えます。
(参考)高麗人参の歴史ともたらした効果 http://podcast.askjerryboutcher.com/nin8.html
高麗人参成分サポニンの優れた効果http://rain.ciao.jp/008.html