戦争と日本国内の高麗人参栽培

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滋養強壮や肉体疲労回復に効果があると認められている高麗人参。
それだけではなく、漢方薬として病気の治療にも役立てられてきました。
そんな高麗人参ですが、戦争によって需要が浮き沈みしていた事をご存知でしょうか?
今回は、戦争と日本における高麗人参栽培について、皆さんにご紹介させていただきます。

日露戦争によって需要が上昇

明治になると日露戦争が勃発。
日本は日露戦争に勝利しますが、その戦地となった朝鮮半島では、高麗人参の生産が滞ってしまいます。
そこで需要が伸びたのが日本産の高麗人参でした。
高麗人参は主に朝鮮半島で生産されていたため、朝鮮半島での戦闘は高麗人参栽培に大きな影響を及ぼします。
日露戦争によって、落ち込んでいた日本の高麗人参市場は再び動き出し、主に中国(清)に輸出されるようになりました。
中国では、薬草による治療が文化として根付いており、当時から西洋医学薬品も活用されてはいましたが、総合的に効果が見られる高麗人参の需要は大きかったのです。

皮肉にも、日露戦争という悲しい出来事によって需要が伸びた日本産の高麗人参ではありますが、第一次世界大戦、第二次世界大戦によって、生産量は再び下火になってしまいます。
高麗人参生産は、約20年の栽培期間を必要とする等、栽培として非常に難しい部類に属します。
戦争による貧困の状態にあって、高級品である高麗人参など栽培している場合では無いと判断されたのでしょう。

朝鮮戦争によって再び需要が上昇

第二次世界大戦後の昭和25年頃、朝鮮半島で「朝鮮戦争」が勃発。
当時、70%程のシェアを占めていた朝鮮半島産の高麗人参は、壊滅的なダメージを受けます。
現地では、朝鮮戦争の影響によって生産どころではありません。
その結果、日本産の高麗人参の需要が再び伸び、中国への輸出が盛んに行われるようになりました。

西洋の高麗人参ブーム

朝鮮戦争後、高麗人参がヨーロッパやアメリカで注目を集め始めます。
特に、西洋医学の最先端であったドイツやカナダ、ソ連が漢方薬の研究を行うようになり、日本産の高麗人参が輸出されるようになります。
高麗人参の高い効能を用いた、新たな新薬を開発する為でした。
研究対象利用ばかりではなく、お茶や料理などに高麗人参を使い、常日頃から体のメンテナンスに高麗人参を活用する人々が増えました。

西洋の高麗人参ブームによって、さらなる飛躍が期待された、国内の高麗人参栽培ですが、1985年のプラザ合意後、円高が進み収益が減少。
その結果、多くの高麗人参農家が撤退する事になります。

現在、国内に流通する高麗人参の多くは中国・韓国産の物です。
国内で生産される高麗人参は、全体の1%程度と、極端に少なくなってしまいました。

悲しいことですが、戦争によって、我が国の高麗人参栽培が生きながらえてきた歴史があります。
高麗人参は、その高い効能から多くの人に愛される素晴らしい薬草です。
現在の生産量が極端に少なくなってしまったとはいえ、その素晴らしい効能をもっともっと世界に届けて欲しいと願うばかりです。