江戸時代以降の高麗人参

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滋養強壮や肉体疲労回復に効果があると認められている高麗人参。
それだけではなく、漢方薬として病気の治療にも役立てられてきました。
そんな高麗人参ですが、江戸時代に劇的なブームを迎えます。
現代でも愛される高麗人参ですが、江戸時代ほどのブームではありません。
江戸時代以降、日本国内の高麗人参生産はどのように推移して来たのでしょうか。
今回は、江戸時代後期から明治時代における高麗人参栽培について、皆さんにご紹介させていただきます。

江戸時代にブームになった高麗人参

長らく続く平和な「江戸時代」。
中国や韓国では皇帝、貴族、皇族の妙薬として利用され、日本では将軍、大名、豪族のみが利用する貴重な薬草。
長らく、高麗人参は一般市民が一生かかっても手に入れる事が出来ないといわれるほど高価な代物でした。
しかし、江戸幕府によって「座」と呼ばれる店が開かれ、一般市民へも販売が開始されます。
その価格は、従来に比べれば安くなったとは言うものの、庶民からすれば「清水の舞台から飛び降りる」と表現しても過言ではない価格設定でした。

それでも、多くの町民はこぞって高麗人参を求め、ある人は病気の家族のために、ある人は自分のステータスのために、またある人は転売のために買い求めます。
高麗人参ブームの幕開けです。

江戸時代、多くの人が「高麗人参は魔法の特効薬」と認識していました。
しかし現実は違います。
高麗人参は確かに高い効能を持ってはいますが、特効薬ではありません。

高麗人参は、短期間で劇的に病状を回復する薬ではなく、長期的に摂取することで健康な体を作る薬草です。
その違いが、江戸時代後期の悲しい事件を引き起こし、高麗人参を買うために命を落とす人まで出はじめました。
手持ちの高麗人参だけでは病気が改善されず、高麗人参の盗みを働く人や、生活資材を全て投げ売って購入したため、後に生活苦となるケースが続出したといわれています。

明治時代にはブームは下降気味に

江戸時代後期に起こった高麗人参ブームは、明治時代になると下降気味になります。
その理由は、西洋医学の流入です。

そもそも、高麗人参は劇的に病気を治す特効薬ではありません。
長期的に服用することで効果を実感できる「薬草」の世界にあって、比較的短期間で効果が出てくる薬草ではあるのですが、西洋医学で利用される薬品に比べれば、効果が出てくるスピードは遅かったのです。

効果な高麗人参を長期的に服用するよりも、短期間で安く効果が現れる西洋医学薬品が求められるようになっていました。
西洋医学が発達し、高麗人参のような長期的な利用を必要とする薬草が必要ないかと言われると、そんなことは全くありません。
西洋医学薬品は、確かに病気の回復などを短期間で実現してくれますが、そもそも病気にならない事の方が大切なはずです。

高麗人参を始めとする薬草の良い所は、普段から摂取することで長期的に健康な体を維持することが出来る点にあります。
さらに、滋養強壮や肉体疲労回復など、病気で弱った体を回復してくれる効果もあるのです。
中国・韓国では現在でもその思想は受け継がれており、我が国日本でも、東洋医学として愛されています。
江戸時代後期に巻き起こったブームから、明治を経て現在にいたる日本の高麗人参事情。
西洋医学薬品に押され気味な時代もありましたが、西洋医学薬品では補えきれない「普段からの健康作り」には欠かせない東洋医学なのです。
その中でも、秀逸の性能・効能を誇る高麗人参。
是非、普段の生活に取り入れてみましょう。